残念です。 -
もん母゙
2009/09/24(Thu) 13:13:48
中3の娘が入学間もなくにクラス内で些細な事件が発生し、
その首謀者として吊し上げをうけ、もともと対人関係の
苦手な娘は一層先生という人格に不信と拒絶を抱いてしまいました。
それ以来その一件に関わった先生との確執を2年半引きづったまま
現在に至ります。
教師との確執の原因となったのが、1年の時にクラスメイトと好奇心で
やり取りした"香水"を誰が持ってきた!持ってこさせた!つけた!
つけさせた!となり、当時の担任は、関わったA,B,Cの内A,Bを
一緒に呼びつけ聴取。
その間C一人職員室前で待たせたあげく、聴取ではなくA,Bの言い分が正しいと
判断できるのでC(娘)が全面的に悪いと家庭に報告が入ったのです。
その一連を当年度に講師から教師になったばかりの担任の補佐的でもある学年主任の
柔道部顧問(社会科)と生徒指導のバレー部顧問(体育)も介入してのCへの指導と
なり、バレー部に入部していた娘は顧問が先ずは話を聞いてくれるでもなく、
開口一番「嘘つき!」と罵倒されたことが心が折れた最大の要因でしたす。
ましてや、Aも同じバレー部。その片方のAにはソフトタッチで「あれ(C)とは離れろ」
と指導。
後になって分かったのは、Aの姉とバ顧問の娘は同級生で親立場の関係もあり
居住地区も同じ。
更に分かったのはA自身が小学校の時からトラブルメーカーで敬遠されていること。
この件の後にも別の友人と同様のもめ事で皆に無視されると先生に泣きつくという
パターンを繰り返すタイプの生徒だったと言うこと。
更に更にAの性質が後に先生達にも判明したが、Aへの対応は変わらなかった。
因みにBは、学級委員、生徒会委員的な優等生。
報告に対し、私も親として我が娘に否があるならばそれは反省させ改めなければな
らないと冷静に判断できます。が、どうにもこの担任の対処に納得できず、今一度の
説明と見解を問いただしたく出向きました。
同席願ったのは前述した3人の教師。そして我が家夫婦。
面談するに当たっての3教師の第一印象は、大変がっかりしたのを憶えています。
担任は上目遣いで落ち着きに欠け、バ顧問は「なんで私が呼びつけられる?」と
言わんばかりのふてぶてしさが滲み出た座り方で目も合わせない。
一番まともに受けたのは柔道顧問でした。
我が家は率直に我が子の否も認めた上で、学校の対処対応には問題があると訴え、
且つ友好的に今後の子供の成長を見守って欲しいとお願いもしました。
しかしながら、この面談は何の意味も成さずこの教師達の娘に・・・我が家に対する
目線は更に鋭くなり、あからさまな嫌みな暴言、偏見、差別的な悪態が部活動を
中心に始まったのです。最初は、娘にも素直に謝れなかった自分も悪いのだからと
自分から心を開くようにと言い聞かせ様子を見ましたが、連日耳にする娘に対する
言動は聞き捨てならない事ばかりでそのころから物証のない"暴言"を記録するという
手段でしばらく耐えました。
1学年も終盤になった頃、痺れを斬らせて知人の教師に相談し、この先生なら信用で
きるよと紹介された本校の剣道部顧問に半年間の娘が受けた暴言の記録を持参し
出向きました。藁をも掴む思いで訴え、その記録も信頼して預けました。
「この記録が事実ならば大変なことです・・・・・」と。この先生なら状況を改善して
貰えるかも!と期待しましたが、結果その剣道顧問も我が家を敵視する側に立ったのです。
その後も状況は変わらず、校長先生にも直談判し同席の元話し合いの場を持ちましたが
「私にどうしろと?」と無関心な校長。
何ら前に向くことはなく、嫌みの質が「お前に何か言ったらまたオカンが来る」
「あの親は我が子を買い被っている」等々教師の品格のみじんもない情けなさ。
2学年で担任も替わりクラスメイトも替わって少し落ち着いても部顧問が替わるわけもなく
加えて、顧問は娘の学年を排除的に扱う部活体制を徐々に作り上げ、学年間の序列も何も
なくなりコート起用を下の学年で固め、ユニフォームを渡されない2年も居たり、遠征には
車に乗れないと言って娘の学年だけ放置されたり、3年になってからは近場の体育館への
移動に1,2年を顧問車に乗せ3年だけ歩いて移動したこともありました。それぞせの行動に
後付のような理由を述べていましたけどね。毎回毎回本当に嫌気の差すもめ事を顧問が
手ぐすねを引くかのように発生させては、生徒のせいにする。
学年チーム内で、顧問に好かれないのは娘のせいだと一人はじかれたこともあります。
辛かったです。
挙げ句の果てには、顧問びいきの一部の父兄も介入して娘の学年を排除的に扱う始末。
精力的な部活動をする顧問でしたが、娘の学年が中心になる頃から一日練習や練習試合、
遠征はピタッと無くなり、今夏総体を終えた直後から合宿、遠征、一日練習をびっしり
入れるというあからさまな行動は精神的苦痛ばかりに振り回され、バレーの実働などほぼ
皆無だった不完全燃焼で終わった我が家には腹立たしいものでした。
まだまだ書ききれないほどの悪態がありますが・・・・こんな環境で最後まで逃げずにやり
遂げたことは娘なりに偉かったと思います。
3学年になり当校の校長先生が替わって新年度の慌ただしい中、知人の県議と面談した際に
我が家のケースやその他にも学校教育(教師)の現状が酷いという話をした所、校長先生
から是非当事者にあって詳しく聞きたいと改めての面談をと県議と約束したまま未だ校長から
の連絡がないということ。
おそらく事前に内部調査の際に権限の強い長期居座っている部下に丸め込まれたのだろうと、
県議の見解でした。
やっぱり、この校長もダメなのかというやり切れなさでいっぱいです。
卒業すれば無かったことに、忘れるしかない、そう思うのは簡単なことです。
涙した分学べたこともたくさんあります。
でも、きっと我が家と同じ思いで学校生活をただ苦痛に終わらせる生徒がこれからも
何人犠牲になるのでしょう。我が家のように、比較的強くない家庭に降りかかった場合・・・・
お気の毒にだけで済むのでしょうか。